2010年02月06日(土) 天気  
父(1911-2006)の終戦
 
第2回、第3回と重ねるたびに、トラックに乞食が群がり、皆で協力して運搬したり、積み込んだりするのであるが、隙をみては盗んでいくが追っかけて手を出す事もできないし、米軍が一人鉄砲を持って番に来ていたので「ヘルプ」「ヘルプ」と応援を求める全く嫌な思い出であった。
 転宅先は、義兄の家であったが、今北京に努めているので、そのボーイ一家が地下室に福田一家と荒井医者とがいた所へ、七条、藤森義身一家3人、末続夫妻、七条の下女と人数にして日本人11人の世帯が同居となった。こんな目ぼしい家は支那側に接収されるべきだったのを、市公署にたてまつり、これまで抗日戦ってきた山の中の大人の宿舎に一部貸して接種を免れるものである。この王という人は良い人で敗戦国民の我々に極めて同情的で、夕食後種々懇談した。話題の主なものは、日本の天皇についてどういう考えを持っているか、今後如何にすべきか等の問いが多かったように思う。