2010年02月05日(金) 天気  
父(1911-2008)の終戦
 
広島の原爆の様子や、市内に近い故郷の母の事も気がかりとなる。デマは次々と飛ぶ。華人不入の神域、青島神社も華人の無法侵入であらされているとのことであった。昼間は勿論夜間も宿舎より出ないようにして、小説を読む。碁不をうって配給物も男が出た。隣組の会合も支那国旗も米国旗も買って宿舎の前に立てることを決めたり、あちこちの事件についてのいやらしい話で、何等喜ぶような伝達はない。
 宿舎は米軍の接収になるらしく、時々検分に来て、土足のまま畳の上に上って調べていく。「グットモーニング」と門のところで迎える、「グットモーニング」の答礼はして入る。あちらこちらで接収に会い、2回も3回も家を追い出された人もいる。会社もいよいよ接収が決定し、小さい所に同居すべく計画して10月の終わりごろから、それぞれ分かれて出ていった。家具什器はそのままで動かしていけないことになっている。小生は簡単に荷物も整理できて、第1回のトラックで早く積みだして転宅した。