2010年02月04日(木) 天気  
父(1911-2008)の終戦
 
日本人の宿舎には、乞食のようなものが常に出入りして危険となり、宿舎の外廊へ鉄線を張り巡らし、出入り口を1カ所として2名ずつ番に当って、戸の入り口で支那人には絶対に開けないようにした。石炭の小盗児の小車を4台くらい取り上げてあったのを難癖つけて来て会社一同恐れたが、さほど大きな問題にならずに済んだ。毎夜仲の町の日本商店等は、次々と不法侵入されてすっかり盗まれた話、黄台路の方にも夜銃声がして、金持ちの家は命と共に金を奪われる。
 10月頃かアメリカ軍の侵入、日本軍も接収され丸腰で歩きだした。町のにぎやかな通りは、米軍が散歩している。道路で出遭って危害を加えられるような気がした。穢い支那の子供が物珍しさに、ぞろぞろついて歩く。領事館、領事館官邸、居留民団事務所には晴天白日旗が翻る。