2010年02月03日(水) 天気  
父(1911-2006)の終戦
 
丁度銀行もどうなるか分からないので、6万円を胴巻と風呂敷に包み腹巻にしていたので、益々うたがわれ、すっかり出されて貯炭場にばらまかれた。千円札を1万円ずつくくっていたように思う。すっかり取っていかれるかとヒヤヒヤしたが、ハイヤーの中の隊長が、その金は渡してやれと言ってそのまま自動車に乗って去って行った。下っ端の兵隊のみであったら、金はすっかり取られたに違いない。部下の支那人も多く見ていて、この時ほどいやな思いをしたことも少ない。埠頭の日本の軍艦、汽船も足止めで、いつのまにか晴天白日旗と代る。埠頭も危険多く支那人に一任して現場へ出ず、本社も建物接収で青島神社前の小さいアパートの2、3室に移転し残務整理をした。いつ内地へ引き揚げられるか不明で、石炭を宿舎にどっさり運んだ。メリケン粉もどっさり各自の家へ配給した。