2010年02月02日(火) 天気  
父(1911-2008)の終戦
 
それでも1ケ月半位は、埠頭の石炭現場に出て働いたが、部下の支那人もすべて態度が変わって、命令も行われず、不穏の態度も起こってくる。埠頭の倉庫の軍需物資も日本兵と日本の埠頭警備も全く威厳を失い、許可された者以外は出入りを禁じられていたが、日増しに群集が出入りして、壁を破って盗んでいった。甲1,820部隊という貨物廠の倉庫の食料を取られていく、石炭関係で常に出入りしていた兵隊さんが支那服を着て取り締まりに行っていたところ、支那兵がハイヤーで乗り込み、ピストルのサックを持っていたところから、その支那兵に疑われ引っ張って帰ろうとする。その兵隊は支那語ができないため、小生の所へ来て頼むので、之は甲1,820部隊の兵隊で倉庫の責任者で、あやしいものではないと支那語で説明していたら、ピストルを出して自分の額に銃口をぴったりあてて、身体検査をはじめられた。