芳華








 大事な務めの一環とはいえ、朝からの取り立てて面白くもない退屈な式典がようやく終わり、うんざりするほどいた周りの人数が減りつつあった。

「供王におかれましては、在位90年おめでとうございます」
 供麒以外の人目のないのを確認しながら、伸びをしようかと思った矢先、背後から年若い女の声で話しかけられた。上品で艶やかな衣装を纏った、南の大国、奏からの使者が人懐っこい笑顔を浮かべている。
「文公主」
 年の頃は珠晶よりもいくつか上になるが、まだまだ少女らしい顔立ちをしている。少なくとも、見た目は。

 きょろきょろと辺りを見回してから、奏の公主はもう一度供王に笑いかけ、今度は砕けた調子で話しかけてきた。
「本来なら、兄が来なければいけないのでしょうけど、最近また行方不明なのよ。ごめんなさい、礼儀知らずで。帰ってきたら必ずとっちめてお詫びに伺わせるわ」
「気にしないで」
「でも・・・」
「そういう約束なの」

 不思議そうな顔をして文姫が問いかけようとするも、官吏が珠晶を迎えに来てしまう。気楽に話が出来る状況ではなくなって、気付かれないように溜息を吐くと、会釈をして立ち去りかけた珠晶がもう一度振り向いて、優雅にお辞儀をして見せた。
「文公主には、お忙しい中おいで下さいまして、有難うございます。部屋を用意させましたので、どうぞそちらでごゆっくりお寛ぎ下さい」
 顔を上げて、声を出さずに「またあとで」と口を動かすと、文姫も微笑んで片目を瞑ってみせた。

 二人だけに分かる合図を交わして、大国の公主と一国の王はそれぞれの行かなければならない部屋へと別れた。










 公務も終わり、文姫との約束どおり彼女の部屋へ訪れる為、少し気楽な服装に改めようと、自室へ戻ると、誰も居てはいけない筈の室内になぜか人影があった。
 図々しくも、王の部屋へ入り込んだ侵入者は大国の太子で、当然のような顔で自ら淹れたであろうお茶をすすっている。
「お疲れ様、珠晶」
 房室の扉を閉め、問い詰めようと息を吸い込んだが、彼女が吐き出すよりも早く相手の方から話しかけてきた。
 相変わらずの、こんな時には腹立たしくなる程飄々とした態度で。
「思ったよりも遅かったから、先にお茶にしているよ」

「なんでいるの」
 珍しい問いかけだった。
 いつでも気まぐれに思わぬ時に訪れる、この、文姫のすぐ上の兄にこんな問いかけをすることは諦めて久しい。

 在りえない問いかけだった。

「用事があったからね」
「今日じゃないはずだわ。それは」
 不機嫌な顔を隠しもせずに、低い鋭い口調で問い詰める。
「今日の用事を珠晶は知らない筈だけど?」
「白々しいこと言わないで!式典の時に顔見せたことないじゃない!!」
 綺麗な眉がきっと上がり、それにつられるように声も高くなる。声を荒げられた方は気にした風もなく、変わらない表情で笑んでいる。

 余計に彼女の癇に障った。

「100年にならない限りは祝わないって言ったのは利広でしょ!!」
 利広の腰掛けている卓子に近づき、勢い良く手を叩きつけた。

「言ったよ。だから、今日は別口」
 さらりと告げられた内容に、珠晶の眉が寄せられる。
 疑問と、得心と、少しばかりの落胆を含んでいることを彼は見逃さなかった。

「そう、なら、いいわ。で、用は何なの」
 並べられた椅子へ座るために視線を落として、彼女は複雑な表情を隠す。そんな様子に目元を弛め、彼は大事そうに抱えていた包を卓子の上に広げた。
 とたんに室内へ甘い香りが広がった。いつも焚かれている香とは違う優しい香りだった。

「見てごらん、珠晶」
 優しい香りと声に促され、視線を戻す。
「花?」
「気に入った?」
「何でこんなに短いの」
 包の中身は紅を基調にした花ばかりで、何故か僅かばかりの茎を残して短く切り取られていた。
「挿すからね。長いと邪魔だろ」
「は?」

 それ以上彼女の疑問に答えず、笑みを崩さないままに彼女に腕を伸ばし、髪を飾るとりどりの簪や櫛を抜き取ってゆく。
「ちょっと、何してるのよ!」
「ああ、もう少しだから待って」
 離れようとした小さい身体を片手で制して、すべての飾りを髪から抜き取ってしまった。ざらざらと机の上に置かれた髪飾りを眺め、珠晶は呆れたように短く溜息を吐く。捉えられた身体を離されるかと思ったが、軽く押さえたままで、利広は切り取られた花に手を伸ばした。
「何をっ・・・」
 彼女が怒鳴り始めるより先に、優しい香りに包まれる。髪と、最後に耳元へ、持ってきた全ての花を挿し終えて、彼は彼女の身体を開放した。

「やっぱり、似合うね」
 机の上で組んだ手に顎を乗せ、満足そうに見つめている利広に怪訝そうに眉を寄せる。同じように机の上で手を組み顎を乗せると、上目遣いで詰問した。
「それで、今度は何の悪戯な訳?」
 呆れてはいるが、顔を合わせた時のような怒りも憂いも彼女の瞳にはなかった。悪戯とは酷いな、とわざとらしく溜息を吐いてから、彼は首を傾げて笑った。

「贈り物。なかなか素直に受け取ってはくれないからね、珠晶は」
 実力行使だよ、と告げる彼に、先ほど収まったはずの怒りがこみ上げてくる。
「お祝いはしないんじゃなかったの」
「だから、別口だって言っただろう」
「どうゆう別口よ!」
 椅子を倒すほどの勢いで、腰掛から飛び降りた。彼との視線の差が自然、なくなる。
 真正面から利広を見据えた。言い逃れも、誤魔化しも許さない強い瞳。90年に渡って一国を支えてきた揺るぎない王の瞳。

 それでも、出会った頃と変わらない珠晶の瞳で。

 これが見たかったのだと、利広は微笑む。花の色と香りに包まれた彼女は愛らしかった。真直ぐな勝気な瞳が更に引き立つ。

「答えなさい!」
「「わたし」から「珠晶」に贈り物だよ」
「同じじゃない!」
「違う」
 変わらない静かな声だったが、彼女が口を噤むのに充分な真剣さがあった。
「供王にではなくて、珠晶に。太子としてではなく、わたしから。」

 初めて出会った時、少なくとも珠晶にとってはそうだった。利広にとっては太子といずれ王になる人物だった。
 そんな所から始まった付合いを、悔しく、もどかしく思っていたのは一体どちらだったのか・・・

「何で、今日なの」
「それは偶然。花が手に入ったからね」
 笑みを浮かべて、正面に立つ珠晶の耳元へ手を伸ばす。軽く花弁を弾くと、漂う香りが強くなった。
「なかなか手に入らない花でね、今日を逃すと、今度は何時になるか分からないから」
 まだ納得がいっていない様な顔をしながらも、この贈り物が彼女のお気に召したのは確かで、理由はともかく、まだお礼も言っていないことにようやく気が付いた。
「ありがと」
 少し膨れたような表情でそう告げる彼女は、見た目と変わらない少女に見える。そっと頬に触れると、少女らしい柔らかさと滑らかさで、少し複雑な気分を利広に感じさせた。

「それだけ?」
「は?」
「それで、終わり?」
 いつもは、彼女が他人に見せない表情を見るだけで満足するはずなのに、何故か今日はそれだけでは物足りなく感じて、利広は先を促す。何をして欲しいのかと問われれば、きっと答えられないと思いながら。

 彼女の瞳に僅かばかりの険しさが宿る。発せられた声はやはり、少し鋭かった。
「不満なの」
「そういう訳じゃないけれど・・・
 「供王」の祝いに皆が参じる時にわたしだけが「珠晶」に贈り物を持ってきたら、
 少しはわたしの地位も向上するかと思ったんだけれどね。 」

 半分は本気で、そう言ってみる。最悪でも、殴られるだけで済むだろうと思いながら。

「屈んで」
 ああ、やっぱり、と苦笑を浮かべると、早く、と促される。
「鉄拳は勘弁して」
「違うわよ!」
 弱ったように口元を歪ませると、帰ってきたのは彼にとっては意外な答えで、それでも彼女の機嫌を損ねたことだけは確かで。
「早くしないと、本当に殴るわよ」
 慌てて利広が少し身体を屈めると、彼女は自分の耳元に手をやり、彼が先刻挿したばかりの花を一輪抜き取った。彼が目を瞬かせていると彼女は、髪をひとつに纏めゆるく括って垂らしてある結び目にそっと、抜いた花を挿した。

 今度は彼女が満足そうに微笑んで、彼から離れた。
「これでいいかしら?」
 あっけにとられたように珠晶と、自分の髪に挿された花を見比べていたが、やれやれと大仰な溜息を吐いた。
「つれないなあ」
「何よ、お揃いで嬉しいでしょ」
 胸を反らせて、鮮やかに笑った。


「じゃ、あたし着替えるから、出て行って」
「せっかく来たのに、もう追い返すのかい」
「そんなことしないわ。 供麒!供麒!!」
 彼女の忠実なる麒麟が急いで室内へ入ってくる。扉の前で待機していたらしい。呼ばれるまでは、無断で彼女の部屋に立ち入ることを硬く禁じられているらしい。
 大事な主が声を荒げたのは聞こえていて、心配でたまらなかったのだろう、転げ込むような勢いで、珠晶の前に控えた。
「お呼びですか、主上」
「利広が来たの、部屋を用意してあげて」
「これは、卓郎君。お越しになられたのを気付きませず申し訳ありませんでした」
 室内に主と共にいたのが利広と知って、供麒が安心したように息を吐いた。

 そう手放しで信用されても嬉しいような、悔しいような、つまらないような、今更の事なのに何故か今日は少し気になって、彼は表情を選びあぐねた。
 眉を寄せた利広を認め、珠晶は小さく笑う。


 供麒に促されて出て行く間際に利広が振り返った。
「また後でお呼びがかかるかい?それとも珠晶が遊びに来てくれる?」
 わたしの部屋へ、と人の悪い表情で聞いてくる彼に、彼女は婉然と微笑んでみせた。
「駄目よ、文公主と約束があるから」
「文姫?」
「いらしてるのよ、今」
 知っているでしょう、そう言うと笑顔を崩さないままの利広が、一応確認の為か念を押した。
「当然、わたしのことは黙っていてくれるのだろう?」
「明日まではね」
 彼女が変わらない笑顔のままで悪戯っぽくそう告げると、利広の表情が明らかな落胆を表した。飄々とした態度が、今日は珍しく崩れやすい。
「つれないな」
「明日まで、猶予を与えてあげたでしょう」
「明日になるまでに出て行けってことかい」
 花の礼がこれでは、余りにも報われなさ過ぎる。床に視線を落とし首に手をやる。髪が揺れて、挿したままの花の香りが広がった。

「そんなこと言ってないわよ?」
 少し含みのある言い方をすると、視線を上げた利広と目が合った。珠晶がくすりと笑うと、彼は一度目を閉じて、ゆっくりと開いた。
 いつもと変わらないつかめない表情の利広がいた。

「つれないな」
 もう一度同じ台詞を、今度は違う声音で零して、静かに出て行った。







「どうするかしら?」
 楽しそうにくすくすと笑う。今頃、彼女が知らない隠れ場所を数えているだろうと思えた。このまますんなり帰ってはいかないという確信が珠晶にはあった。
 文姫が諦めて帰っていった頃に何処からとも無く現れるだろう。ひょっとしたら、妹がいるときでも、彼女の目に留まらないように顔を見せるくらいのことは、してのけるかもしれない。
「だっておかしかったもの」
 余り深くは追求したくないが、なかったことにしてしまうのは惜しくて、先刻の出来事を振り返る。おかしかったのは彼だけではなくて、彼女も同じで。
 式典の日に顔を見せないと分かっていた筈なのに、彼の顔を見たときの嬉しさと憤ろしさは何だったのか・・・

「まあ、いいわ」
 兄妹の苦労を知ってか知らずか、もう一度、満面の笑みを浮かべてから着替えの為に女官を呼んだ。




 室内の香りがいつもの香とは明らかに違い、柔らかい、優しい香りである事をいぶかしみ、視線が香りの元を探すと、彼女たちの女王の姿に行き着いた。
 髪型を変えないまま、髪飾りがすべて生花に入れ替わっていることを認めた女官たちは、一様に驚いた顔をした。
 しかし、取り立てて理由を聞こうと思う人物は、賢明にも一人として現れなかった。







・END・












バレンタイン企画に書いたものなのですが、関係ない話になってしまいました。

すっごい好きなカップリングなんですけど、犯罪です。
言い訳の仕様がないですね、利広さん。(マテ)
どうもまだ出来上がってはいないようです。90年も経ってるのにねえ。
在りえないとは言わないけど、何時まで待っても見た目が犯罪なのは変わらないので、
適当なところで諦めて、利広さんには犯罪者の道を歩んで行って欲しいと思います。

余りオヤジにならなくて、ぢつはちょっと一安心v



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