彼女の様子がここ数日、いつもと違うことに気が付いたのは、ほぼ2人同時だった。
一人は賢明にも様子を見守るにとどめ、何かあればフォローすることに努め、感情を逆撫でない道を選び、もう一人は気を紛らわせようといつもと同じか、より以上に声をかけては冷たくあしらわれることを繰り返していた。
「ハーマイオニー、何かあったの?」
日当たりのいい3人のお気に入りの場所で、今日何度目か、険悪になりつつある空気を見かね、沈黙を守っていた少年が少女に問いかけた。
「そうだよ、理由も言わずにあたられても・・・」
「ロン」
喧嘩腰の納まらない赤毛の相棒を軽く睨んで制し、黒髪の少年が再度彼女に問いかける。
「何か、心配事?」
「クルックシャンクス!」
イライラと、不安な様子を隠しもしないで叫ぶように告げられたのは、彼女の優秀な猫の名前だった。
「そういえば、近頃見ないね」
「家でっ・・・!」
無自覚に不用意な発言でハーマイオニーの不安を煽りかけたロンの足を、無表情に一度蹴飛ばしてハリーは彼女に笑いかける。
「用事でも頼んだの?」
「違うわ!何も頼んでなんかいないわよ。でも、ここ数日見当たらないの!」
最後の方は、半分涙声になりながら打ち明けた。
「ねえ、どこかで見なかった?私が最後に見かけたのは5日前の夕暮れ時よ。学校のふくろうと一緒に回廊から外に飛んで出たのを見たの。寝る前には帰ってくるように声をかけたら、確かに振り返って返事をしたのよ!それなのに!!」
「お、おっ、おち、おち、おっ・・・」
息もつかず一気にまくし立てるハーマイオニーの勢いに押され、ロンは意味ある言葉を綴れずに、オロオロと手を上下に動かした。
「お、ちついて。ね?ハーマイオニー」
何とか意味の通じることを言えたハリーも、心なしか引きつった顔で、やや腰が引けた状態でだった。
「あの子に、何かあったら・・・」
打ち明け始めると、ここ数日溜め込んでいたものが一気に噴き出してきて止まらなくなってしまったらしく、彼女は感極まったように唇を戦慄かせ、大きな瞳いっぱいに零れそうなほど涙をためている。
泣き顔などめったに見せない彼女が、今にも泣きそうな顔でいるのを何とかしたいと思っても、不用意なことを言っては逆効果になってしまいそうで、2人は何とも言えず暫く黙って見つめていた。
「どうしよう、私」
ハーマイオニーの表情が歪む。
「だ、大丈夫だよ!」
泣かせたくなくて、咄嗟にロンが叫んだ。ハリーとハーマイオニーの視線が向けられる。何か続けなくてはいけないことは分かっていても、どう繋げていいか分からず、黒髪の相棒に目を向けた。
「大丈夫だって」
優しい赤毛の少年が、途方にくれた瞳をしていることに、彼女が気付くよりも早くハリーはハーマイオニーに向き直った。
「クルックシャンクスは頭のいい猫だろ。何か理由があるんだよ、きっと」
「そうだよ、君の忠実なる使い魔じゃないか」
「僕らなんかよりもよっぽどしっかりしてるし、危険なことはしてないよ」
「今日明日中にでもひょっこり帰ってくるかもしれないし」
必死に宥める2人に、彼女の切羽詰ったような様子が少しずつ解けてゆく。
少女の表情が緩くなった事に安心した少年たちも肩の力が抜け、だんだん普段の調子を取り戻していった。
「そしたらとっちめようよ。心配かけて、何してたんだって」
「説教すれば二度としなくなるよ」
「ロンに説教されるようじゃダメだって、クルックシャンクスも思うよ、きっと」
「どういう意味だよそれは!」
「だって叱られるのは君の専売特許だろ」
「ハリーだって怒られてるじゃないか」
「君ほどじゃないよ」
「変わらないってば」
すっかりいつもの調子で他愛もない事を言い始めた2人に、やっと少女の張り詰めていたものがほどけた。じゃれるように言い合いを続けている大切な親友2人の手をとって、まだ完全に涙の乾かない瞳で笑ってみせた。
「ありがと、ごめんね」
まだ、不安がなくなった訳ではないが、数日間張り詰め通しだった気は和らいでいる。
「ホントに大丈夫だと思うよ」
「そうね」
「もう少し、待ってみようよ」
「ええ」
落ち着きを取り戻した大切な少女を両側から守るように挟んで、日が翳ってきつつある庭を抜けて、他の友人たちのいる彼らの寮へ道を辿った。
就寝時間を過ぎて起きているにもかかわらず、窓辺に座るハーマイオニーは、本も羊皮紙も手にしてはいなかった。愛猫が戻ってくるのが見えるのではないかと、クルックシャンクスが消えた翌日から、窓から外を見ることが彼女の日課になっていた。
2人の親友に言い出せなかった数日間の不安を打ち明けて、少し落ち着きはしたものの、2人と離れ、夜一人になるとどうしても良くない考えが浮かんできてしまう。
やはり今日も戻ってこないのかと、諦めて窓辺から離れようとした彼女の目に、夜目にも鮮やかなオレンジ色が見えた。あわてて窓に張り付くと、まっすぐグリフィンドール塔に駆けてくる小さな姿が見える。
思わず叫びそうになった口を押さえ、部屋から飛び出した。談話室まで、なるべく静かに、それでも急いで駆け下りると、戸口の外で鳴き声が聞こえた。
「クルックシャンクス」
名を呼びながら扉を開けると、するりと中に入ってきたのは、確かに彼女の猫だった。
「何処に行ってたの」
抱き上げた猫は数日外にいたにもかかわらず、酷く汚れていることも、やつれている事も無く、ようやく彼女を安心させた。
甘えてくる猫を暖炉の前に降ろし改めて見てみると、体に何か結んであるものが長い毛足に見え隠れしている。
細い麻紐で括り付けられていたのは小さな袋で、中に2枚のカードと、カードのついた小さな箱が入っていた。箱に貼り付けてあったカードの宛名はハーマイオニーで、他の二枚にはそれぞれ、ハリーとロンの名が記してあった。
差出人の名前を目に留め、彼女は目を見開いた。
過去に何度か目にした事がある、少し鋭い癖のある字で、「パッドフット」と綴ってあった。
あわてて開くと、同じ文字が懐かしく語りかけている。
『 ハーマイオニー
元気でいるだろうか。
精一杯の感謝の気持ちと思いを込めて、バレンタインの品を用意した。
君が快く受け取ってくれることを願う。
届けるにあたって、君の優秀な使い間を無断で使ってしまったことを許して欲しい。
余り心配をさせていなければいいのだけれど。 』
誰かに見られたときの用心か、シリウスの名前は書かれてはいない。
包装紙を解いて小さな箱を開けてみると、中には小さな花が、ビロードのリボンでまとめてある。
その花は、生徒ではなかなか手に入れることの出来ない薬草で、虹色の花弁の輝きと繊細な香りで観賞用としても人気のあるものだった。普通に花屋や薬草店へ行っても生花を手に入れることはまず不可能に近い。
ビロードのリボンは細身で、深い臙脂色をしている。彼女の髪にも、寮のカラーが入っている制服にも良く似合いそうな、上品なもので・・・
「もう、シリウスったら。」
何処で手に入れたのか、どんな顔をして手に入れたのかと思うと笑いがこみ上げてくる。
「都合良く解釈するわよ、いいのかしら」
2人の親友と同じような関係だろうルーピンに、おそらくいい様にからかわれた事が容易に想像でき、数日振りに声を立てて笑った。
ひとしきり笑うと、膝に凭れて丸くなっていたオレンジの猫を抱き上げ、愛しげに頬を寄せる。
「あなたは本当に賢い猫ね。私にとても素敵なものを持ってきてくれたわ」
2人宛のカードを袋の中に収め、花とリボンの入った箱とカードを猫と一緒に抱えて、談話室から女子寮へ繋がる階段を上っていく。
―――――数日振りに訪れるであろう、快い眠りを思いながら。
翌日、ハリーとロンにクルックシャンクスが戻ってきたことを告げ、2人宛に届けられたカードを手渡したハーマイオニーは、数日の物思いからようやく開放され、いつもと変わらない飛び切りの笑顔を2人に見せた。
彼女の髪で、ビロードのリボンが笑い声に合わせて軽やかに揺れていた。
・END・
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