部屋に入ってすぐに、ここに在る筈がないものが彼の目についた。
控えめというには余りにも無造作にベッドの上に、転がされていたものは数輪の花だった。
薄いセロファンで包装されたそれは、ラッピングしてもらったものではなく、出来合の大量生産品に見えた。
「何だ?」
怪訝な声を上げて投げ出されている花を摘み上げる。
「花・・・だよな」
何処から見ても確かに花にしか見えず、出来合の包装とはいえ、生花で、まだ萎れてもいない。ここへ投げ出されてからまだ余り時間は経っていないように見える。
誰が、という疑問も然ることながら、何故、という疑問も頭を巡る。
手の中で矯めつ眇めつしていると、貼ってあるシールに気が付いた。小さな楕円形のシールで、白地に赤い色で「St‘ V-Day」と書いてある。
「V−Day?」
首を傾げ、頭をひねるが何のことか皆目見当がつかない。
「ま、いいか」
机の上に投げ出して、ベッドに転がり目を閉じた。
夕食時に起き出して、スパイクがリビングへ顔を出すと、ジェット特製の品があらかたエドに食べ尽くされていた。ジェットにとりあえず文句を言ってみたが、いたのか、と酷く意外そうな声が返ってきた。
「お前、さっきフェイになんか貰って食ってたろ!」
欠食児童が、とエドから皿を取り返してスパイクの動きがぴたっと止まった。
部屋に引っ込む前のリビングの様子が浮かんでくる。
エドにクッキーが数枚入った包みを投げてよこした彼女。
つまらない物を買ったらついて来たおまけだと言っていた彼女。
大量に買い込んでくるブランドの袋の代わりに何か小さな包みを持っていた彼女。
出先での愚痴を一言も言わずリビングを出て行った彼女。
食事時だというのに姿の見えない彼女と、先刻のジェットの意外そうな返事・・・
「あっ!!」
一声叫んで、手にしていた皿を取り落とす。足元に纏わり付いていたエドがすかさずキャッチした。
「何だ、大声上げて。発声練習なら他所でやれ、喧しい」
「悪い、出てくる」
「メシは?」
「いらね」
いつもフェイが言われている台詞を聞きながら、リビングを飛び出した。
慌てて飛び立つソードフィッシュの音を聞きながら、一組の親子が呆れたようにため息を吐いた。
「まったく、面倒くさい奴らだな・・・」
「くーさいくさい、くさい仲〜」
子供の方は、無事に独占できた皿を前にかなりご満悦の様子ではあったが・・・
勢いよく飛び出したは良いが、スパイクは目的の女も、彼女の愛機の姿も見つけられずにひたすら夜の空を飛び続けていた。
ビバップに戻ったかと、何度か見に戻ってもみたがレッドテイルの機体は無かった。
「何だって分かりにくいことした挙句に消えやがるんだ!あの女は!」
焦りと、苛立ちを募らせスパイクは、操縦桿を乱暴に叩いた。
表示板の数字が変わり、当日中には彼女をついに見つけられなかったことを控えめに言い切り、彼に告げた。
もう一回りして見つからなければ、フォローは事だろうが、諦めて帰ろうかと彼が思い始めた頃、ビバップが停泊している港から程近いところで、見慣れた機影を見つけた。
機体の主を探しに降りようと、ソードフィッシュを降下させたスパイクの目に、防波堤に腰掛けている女の姿が見えた。
「・・・っの馬鹿!」
ひとつ悪態をついて、レッドテイルの隣にソードフィッシュを下ろし、さっき上空から見えた防波堤へと駆け出した。
探し回った彼女は、防波堤の上に座り、海側へ足を投げ出してぶらぶらさせている。近づく彼の苦労などそ知らぬ顔でいつものように流してしまいそうで、声をかける前に彼に、落ち着くための間を持たせた。
「おい」
気にするほど険悪な声にはならなかったが、咎める調子が入ることまでは止められなかった。
「何してるんだよ、お前」
顔だけこちらへ振り向いて、彼女はふっと笑った。何故か、力が抜けてほっとしたような笑い方に見えて、スパイクの気勢を殺いだ。
「こんな中途半端なところで、何がしたいんだよ、お前は」
「別に」
近づいてきた彼から視線を海に戻して、踵で軽く堤を叩いている。
「気まぐれ・・・かな」
「気まぐれに探させたのか」
「探したの?」
「探させたんだろ、お前が」
「ふーん」
気のない返事をしながら、少し照れたように、いたずらを見つけられた子供の笑いを浮かべているフェイに調子が狂う。
「ややこしいことするから過ぎちまったぞ」
ぶっきらぼうにそう言って、煙草に火をつける。吸い込んだ煙を大きく吐き出した。
「あー、あれ・・・ね」
海側に下ろしていた足を上げ、ようやく彼に向き直った彼女が、言いにくそうに言葉を濁す。
「どうしようかと思って、さ。」
「あ?」
「買ったからには無駄にしたくは無いけど、困るし」
「誰が?」
「あたしがよ」
「何で」
「いいでしょ、別に」
ふいっと横を向き、さっきまでと同じように堤を踵で叩いた。軽く節をつけるように叩く仕草が、やはり幼い子供のように見える。
彼は暫く黙って煙草をふかしていたが、路上に落として靴先でもみ消した。
「おい」
高い位置にいる彼女をスパイクが呼ぶ。指先で招くと、意外と逆らわず少し近づいた。けれど、そこまでしか近くならなかった。
「もうちょい」
「何よ」
少し近づいただけで、それ以上は身を屈めてくれないフェイの腕を取り、いきなり引いた。
堤から落ちかけた彼女は怒ろうと口を開くが、スパイクの肩口についた頭で体重を支える形になっている為に儘ならない。
「何すんのよ!」
彼の上腕に手をかけ体重を支え、ようやく文句を言えた。
フェイは、スパイクを突き放すその勢いで体勢を元に戻そうと試みるが、すっと身体を引かれて結局、縋りつくような格好で止まってしまった。背中を支えようともしないくせに、片手で頭を肩口に軽く固定したまま動かない。
「あんたこそ何がしたいのよ」
不安定な体勢で大きな声は出せないが、それでも精一杯の険を込める。
「さあな」
「あんたね・・・」
飄々と返すスパイクにフェイの声が低くなる。もう一度腕を支えに身体を起こした。頭を固定していたスパイクの手は離れていくフェイに逆らわなかった。
口を開いた途端に顎を捉えられる。
一言も発せないまま唇を塞がれた。
頭に触れたままだった手は、今度は彼女が離れていくことを許しはしなかった。
重なった影は、暫く離れないまま港の明かりに揺れていた。
・END・
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