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安国寺恵禅師

一 信長の代五年三年者可被持候、 
明年辺者公家なとに可被成候かと見及申候、左候て後、
高ころひにあおのけにころはれ候せると見え申候 
藤吉郎さりとてハの者ニて候、上之時万々可申上候、
明日十三、吉田へ罷下候、
自吉田万々可申上候、此由得貴意候 恐惶謹言

   (天正元年)
     十二月十二日           恵瓊(花押)

山縣越前守殿
井上又右衛門尉殿

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大日本古文書家わけ第9 吉川家文書1  620

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安国寺恵瓊 ゆかりの寺

平成28年9月 10日更新

足利義昭の処遇をめぐり、毛利家と織田信長との交渉役を小早川隆景が受け持った。
其の時、織田側の申次として抜擢されたのが藤吉郎秀吉である。

永禄12年(1569)に隆景の使者として安国寺恵瓊が上洛しているし、
元亀2年(1571)には恵瓊は信長と面謁していることから、信長の申次で恵瓊と同年代の秀吉とは多少の面識を得ていたことであろう。
秀吉と恵瓊が、親しく膝を交えて語り合い、深く相識るに仲に至ったのは、天正元年(1573)の交渉の際であろうと思われる。、

この文書は恵瓊は天正元年12月12日に毛利家臣に送った手紙である。
信長の威勢が隆々としている当時、このようにすでに10年先の天正10年6月の本能寺の変を予測し、藤吉郎が後に天下をとるごとき人物であることを看破している。この恵瓊の炯眼は驚くべきものである。
                 河合正治著『安国寺恵瓊』抜粋